Inside-Out /SAKAMOTO Izumi

http://igallery.sakura.ne.jp/dc81/dc81.html

坂本泉 展
SAKAMOTO Izumi
シリーズ Old but GOLD Vol.5

 [Inside-Out] 2012-

《Conscious-Unconscious》からのシリーズとなるインスタレーション。19世紀の西洋絵画をモチーフとして、紙に刺繍を施して再現し、その裏側を展示して見せる。

そこには美大卒業後に2年間勤めた山梨県立美術館で出会った19世紀のフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーをはじめとするFine Artの世界へのオマージュ、そして200年前の「現代」、時間が経って見る200年前という「今」とは何なのかという問いかけがある。

綺麗に見える表の裏側に見える真実の姿。完成とプロセス。裏を表にひっくり返すことで意識の裏にある無意識を見たいという欲求。

希望を見出すには我々はどうしたらよいのか?


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ポスターフライヤー 「泉を探して」 B3版八折り

テキスト: 堀切春水( 歩帆舎)

デザイン:筒井一葉

食品の包装パッケージや紙、毛糸やシーツなど生活に密着したもの、手で作ったものを素材としたインスタレーションを制作し続けるアーティスト坂本泉。アーティストとしての活動を始めて今年で20周年、Artist in Residence Yamanashiの運営を始めて15周年を迎える。

スタイリストやファッションデザイナーという職業に憧れて女子美術大学芸術学部プロダクトデザイン学科に入学。その後、美術の教員として地元山梨で働き、1991年から1994年までの3年間、アメリカで主婦としての日々を送った。

「自分は表現をする人にはなれない。」と思い込んでいた坂本の心を激しく揺るがす重大な出来事との出会いが、アーティスト人生の始まりだった。

1つは2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)。

坂本はすでに帰国していたものの、愛するアメリカが崩れる様子をテレビで見て、ひどく心が荒み、傷つき、塞ぎ込んだという。

もう1つは同年に開催された第1回横浜トリエンナーレとの出会いだった。

多発テロで荒んだ気持ちが癒されただけでなく、それまでに美術のテーマになり得ないと思っていた表現を目の当たりにして強い感銘を受けたという。

「上手い下手ではなく表現したいことが私にもある。」そんな確信が芽生えた。

日本に戻ってからの生活で今まで通り生きていいのだろうかというぼんやりとつかえていた気持ち、多発テロで傷ついた心、横浜トリエンナーレで癒された心、その全てがアーティスト坂本泉として生きることへと導いた。

日本でのアーティスト・イン・レジデンス事業の草分け的存在であるアーカス・プロジェクト(1994年〜、茨城県守谷市)の存在を知った2005年にアーティスト・イン・レジデンスの運営に漠然とした興味を持ち始め、同年、自身が生まれ育った元産婦人科医院を自身の個展「HOSPITAL→HOSPITALITY」を幕開けとしてAIR(アーティスト・イン・レジデンス)として蘇らせ、Artist in Residence Yamanashi(通称エアリー)の運営をはじめた。2007年にはアーティストとして初めてロッテルダムのレジデンス「Kaus Australis(カウス・アウストラリス)」にて滞在制作を体験した。

多くの命が産み落とされてきた元産婦人科医院は、今や甲府という一地方を越えて、日本という国を越えて、たくさんの作品と人と交流を産み出す甲府の貴重な文化的拠点となった。こうしたAIRのディレクターという顔の裏に、礎に、20年来のアーティスト人生がある。

「作品は全て現在進行形であり、結論もなければ完結することもない。」なぜなら全て実験の途であり、自分自身への問いかけであるから。

Wanna be Artist, Searching for Oasis.

泉(=自分自身 / 新たな価値観 / 希望)を探して、制作を続ける。それが生きるということ。