『ふれてみる展覧会 2025』
10月24日(金)-26日(日)開催 @山梨県立図書館
台湾大葉大学および山梨県、北海道の教育機関などが主催する手で触り鑑賞する彫刻や絵本などの展覧会に参加します。






作家: ホァン・ユィーシュエン 黃 鈺軒
作品名:「海のささやき、糸の呼吸 」(海的呢喃、線的呼吸)
素材:ヒノキ(黃檜)イスノキ (烏心石)
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作家:ツァイ・ペイファ 蔡 沛樺
作品名:「掌の中の同じ風景」(掌心同一片風景)
素材:台湾クスノキ(台灣樟木)
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作家:リョウ・アギ 梁 雅琪
作品名:「落ち着きのない気持ち」 (無處安放的情緒)
素材:クスノキ(樟木)マホガニー(桃花心木)銀箔(銀箔)
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滞在成果発表展
タイトル『私たちを包む山梨』
作家:ツァイ・ペイファ 蔡 沛樺
ホァン・ユィーシュエン 黃 鈺軒
リョウ・アギ 梁 雅琪
会期:2025.11.14(金)15(土)11:00-17:00
15(土)カフェ出店あり ヒトトナリ・コーヒー *1ドリンクオーダー
会場:400-0031 山梨県甲府市丸の内2-37-2 AIRY 2F Gallery


《裹著我們的山梨》
私たちを包(つつ)む山梨(やまなし)
(中文)
「裹著我們的山梨」是一段被風與光包圍的經驗。
在這裡,時間似乎流得更慢,空氣中混合著木的香氣與霧的柔軟。
我們以創作的方式與這片土地對話,
被它的氣候、語言與節奏輕輕包裹。
作品不只是記錄,更是一種呼吸——與山梨共振的痕跡。
(日文)
「私(わたし)たちを包(つつ)む山梨(やまなし)」は、風(かぜ)と光(ひかり)に包(つつ)まれるような体験(たいけん)です。ここでは、時(とき)がゆっくりと流(なが)れ、空気(くうき)には木(き)の香(かお)りと霧(きり)のやわらかさが混(ま)じっています。私(わたし)たちは創作(そうさく)を通(とお)してこの土地(とち)と対話(たいわ)し、その気候(きこう)や言葉(ことば)、リズムにそっと包(つつ)まれています。作品(さくひん)は記録(きろく)だけではなく、呼吸(こきゅう)のような存在(そんざい)――山梨(やまなし)と共鳴(きょうめい)する痕跡(こんせき)です。
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作者 : ツァイ・ペイファ 蔡沛樺
作品名 : 六時(ろくじ)
素材 : 木板、奉書紙、水性版画絵具


滞在初期、地元の画材店を訪れた際、台湾ではあまり見かけない版画用の道具──「刷毛(はけ)」を見つけました。 調べてみると、それは日本の木版画(水性木版)でよく使われる道具であり、柔らかく透明感のある色を刷り出すことができます。その特徴に惹かれ、また山梨大学で廃棄されていた木板を入手したこともきっかけとなり、この滞在期間中に木版水彩多色刷りを独学し、作品を制作することを決めました。
制作の過程では、何度も試行錯誤を繰り返し、資料を調べ、道具や材料を買い足しながら、紙や木板、絵具の湿度を調整しました。これらの実験は、素材との関係を探る行為であると同時に、自分自身との向き合い方を学ぶ時間でもありました。この経験は、以前台湾で制作した作品《発呆(ファーダイ)》を思い出させます。 その作品では、急速に変化する社会の中で無力さを感じたとき、「発呆(ぼんやりする)」という行為を通して現実のリズムから一時的に離れることをテーマにしていました。 今回の滞在制作では、「逃避」と「生活」は対立するものではなく、むしろその間を行き来する流動的な状態であると感じるようになりました。 その往復の中に、より深い感覚と呼吸のような存在を見出しました。
作品解説 : 「甲府での一日の暮らし」を基盤に、
日出・朝・正午・夕方・黄昏・深夜
という六つの時間帯を設定し、それぞれの光や空気感を色彩と構図に置き換えています。
木版画を制作する際、通常は版木の図像を反転させて彫ることで、刷り上がりのイメージが正しい方向に現れます。 しかし本作では、あえて反転させずに構図をそのまま彫りました。 そのため、刷り上がった画面は当初の設計とは逆の方向に現れます。反転された画面や、完全に刷られていない色面、わずかにずれた痕跡は、 むしろ「制御できない現実」や「予測不可能な日常」の感触に近く、 計画通りではないその揺らぎこそが、より真実に近い存在であると感じています。
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作者 : リョウ・アギ 梁 雅琪
作品名 : 山々と孤島の間
素材 : 木材、紙、墨

山梨に対する気持ちを表す詩を書き、「孤島」を自分のメタファーとして、日本の山梨滞在の一ヶ月間、山々に囲まれた環境の中で感じた静けさと沈殿を描いています。山に囲まれた小さな島のように、ゆったりした時間の中で観察し、呼吸し、ゆっくり沈殿する。 詩に描かれている「カラス」、「光」、「雲」、「山」は、この滞在生活の日常的な場面です。孤立した存在ではなく、静寂の中で世界とつながっている「孤島」は私の自己位置の比喩となった。「山の群れ」はここで出会う人々にたとえられる。しかし、この短い滞在は、私に再び「継続」と「滞在」の関系を理解するようになりました–たとえ離れても、この山の息吹と光の記憶は、未来の日々の中で続いて、すくすくと伸びていきます。
詩文「 カラスが歌っている」
もし私が山の中にいるなら
孤島
山梨で
はるか遠くの山々が
周りを囲み、守り、互いを眺めている。
雲は山と山の間を泳ぎ、
時たま姿を現し,
時々姿を消す。
光が魔法を撒き散らして
こずえの先で
バルコニーで
歩道を歩いていると
日常の隅々に。
暖かい光、
朝にそっと目を覚ますと
燃えるような光、
寒い天気が暖かさを与えた。
時には雲がいたずらに光を隠して
ただ、濁った灰だけが残った。
あ—あ—
カラスが歌を歌うと、
カラスが口げんかをしている。
甲府の空にいます
ハスキーな楽章を合奏する。
純朴な甲府、
友好的な人々は
ここに心が沈着して
静けさの美しさに変える。
人里離れた島は山の間にあり、
会うすべてのもの、
孤島に新たな枝葉が育つようにする。
しばらく滞在した日、
このすべてが栄養分となり
そのエネルギーと記憶を持ってきて
未来に行く日です。
山梨の日常の中で、毎日鳴いているカラスを描く。騒々しい彼らの存在や姿は、時には可愛くて時には可笑しい。
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作者 : ホァン・ユィーシュエン 黃 鈺軒
作品名 : 想と享のあいだ
素材 : 紙、木材、陶土

日本・山梨でのアーティスト・イン・レジデンスの期間、言葉や環境、文化の違いに向き合いながら、私は「感受」と「思考」のあいだにある関係について考え始めました。感覚が新しい風景やリズムを受け取るとき、内側でもまた応答し、整理し、変化が起こります。その状態はまるで「想うこと」と「享(う)け取ること」のあいだを流れるようです。「想」は内なるまなざしであり、未知への探求と考察。「享」は身体のひらきであり、光や空気、音が交差する瞬間の感覚。この二つが交わるとき、私は一つの「真実の共鳴」に近づいていくのを感じました。この経験を通して、私は「創作」が単なる思考の表現ではなく、「感受の延長」であると気づきました。異国の光と影の中で、どのように心と身体が交錯し、新しい存在のリズムへと変わっていくのか——その過程を作品として記録したいと思いました。
《想と享のあいだ》は、「思索」と「感受」の流動を軸に、絵画・木材・陶土・色彩の交わりを通して、理性と感性の境界を探る作品です。絵画は「想」の象徴であり、光が透過し散乱することで、意識と外界の交わりを生み出します。
木は時間と温度の記憶を宿す素材であり、思考の沈殿を支える呼吸のような存在。
陶土は手の感触から形を生み、「享」の即時的な存在と身体性を表します。
色は思考と感覚のあいだを流れ、溶け合い、柔らかな共鳴へと変化していきます。
異国の光と気候の中で、創作は「思考の結果」ではなく「身体の体験」となりました。手の感触、光の流れ、時間の滲透を通して、作品は「想」から「享」へ、理性から感覚へと移ろいゆく。全体はまるで、思考から感受へと歩む一つの旅のように、光・境界・流動のあいだで、心と身体の共振を探っています。
《想と享のあいだ》は、対立ではなく、往復する呼吸そのものです。思考が感受へと変わり、感受が新たな思考を呼び起こす——その循環の中に、作品の生命があります。霧のように漂う思考と、橙色のような温もりが混ざり合い、光と影のリズムを帯びた柔らかな存在として立ち現れます。この作品は、レジデンスでの体験の縮図であり、異国で自分自身を再び見つめ直す心の記録でもあります。



































































